名古屋地方裁判所 昭和43年(行ウ)9号 判決 1978年4月28日
原告 加藤千代子
被告 国
訴訟代理人 奥村欣三郎 大岡進 ほか八名
主文
一 愛知県収用委貝会が昭和四二年一二月二〇日付でなした原告の本件土地占用許可の取消に伴う損失補償額を七、六三三、六九九円とする裁決を一五、八七〇、五二五円と変更する。
二 被告は原告に対し、八、二三七、八二六円およびこれに対する昭和四二年一二月二九日から完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。
三 原告その余の請求を棄却する。
四 訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の、その余を被告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一 愛知県海部郡立出村地内のいわゆる福原輪中堤(以下、本件輪中堤という)は原告主張の経緯でその大部分が堤防敷、次いで河川付属物に、右輪中堤外の山林原野(別紙目録記載の土地〔以下、本件土地という〕のうち地目山林・原野の土地)が河川敷に各認定され無補償で私権が消滅したこと、原告は昭和三九年八月二〇日右私権消滅の各個所につき占用許可を受け、その後、昭和四〇年四月一日以降河川法(昭和三九年法律第一六七号)の施行に伴い、本件輪中堤とその敷地および右河川敷地はいずれも国に帰属することになつたが原告は引き続き占用してきたこと、昭和四〇年五月二四日に至り、建設省中部地方建設局長は長良川改修工事の必要から原告の右占用許可を同年五月三一日かぎりで、取消したため、原告は右取消に伴う損夫補憤について同建設局長と協議したが不成立に終つたので、同年六月一四日愛知県収用委員会に裁決の申請をしたところ、同収用委員会は同四二年一二月二〇日原告主張どおりの裁決をなしたこと、原告は被告から同四〇年七月二八日既に受領した見積損失補償額二、五六〇、五〇八円と、右裁決額七、六三三、六九九円との差額五、〇七三、一九一円を同四二年一二月二五日各受取つたこと、以上の各事実はそれぞれ当事者間に争いがない。
二 占用許可の取消処分に伴う損失補償については、河川法(昭和三九年法律一六七号)七六条一項により「通常生ずべき損失」を補償すべきであるが、原告の占用する本件土地について、その占用不許可または占用禁止に伴う補償については河川法施行法(同年法律一六八号)一九条、河川法施行規程(明治二九年勅令二三六号)九条、一〇条が適用される結果、同規程一〇条に規定する「相当の補償金」を下付すべきところ、「右相当の補償金」とは、土地相当の価格の補償(明治三五年三月二八日土甲一三号各地方長官宛土木局長通牒)即ち、所有権消滅によつて土地所有者の受くべき通常の損失の補償として、所有権柏当額(所有権価格)と考えるべきである。
なお、同規程九条、一〇条によれば、「河川ノ敷地ニシテ荒地ニアラサルモノ」の占用不許可等の場合に補償金を下付するとされているが、本件輪中堤のごとき旧河川法四条二項による認定河川付属物については河川に関する規桿に従うものとされ、その敷地の占用について、その占用取消に伴う損失の補償につき河川敷地と別異に取扱うべき理由は見出しえないから、右各規定は堤防敷地についても適用されるものと考えられる。
三 原告は本件堤防敷地(本件土地のうち地目堤防土地即ち本件堤防の敷地、四、四三二坪)の所有権柑当額は三・三平方メートル当り三、〇〇〇円、本件山林原町(前記山林六〇三坪および同原野のうち字子新田四五五番の一の一部並びに宇六番割の六筆を除いた土地。三、八一七坪)同一、五〇〇円、本件荒地(右字子新田四五五番の一の残部および字六番割の六筆、三、四四五坪)は、同七五〇円が所有権相当額であると主張し、被告は本件裁決における右堤防敷地および山林原野一平方メートル当り二四二円、右荒地同四八円四〇銭の価格が所有権相当額であると主張するので、以下右各土地の所有権相当額について検討する。
1 ところで河川法ないしはその関係法規においては、右所有権相当額または所有権価格をいかなる算定方法により算定すべきかについて規定を欠いているところ、同法七六条一項にいう損失補償は同法七五条二項四、五号に規定する河川工事等公益上やむをえない必要があるときになされる占用許可取消処分等に伴う損失の補償であり、同法七六条二項、二二条四、五項によれば河川管理者の見積損失補償金額に不服がある場合は収用委頁会に対し土地収用法(昭和二六年法律二一九号、但し同四二年法律七四号同法の一部を改正する法律による改正前のもの、以上同じ)九四条の視定による裁決を申請することができることになつていることから考えると、同法上の損失補償に関する諸規定を類推することが許されるものということができる。そして、同法七一、七二条によると、収用する土地に対する損失補償は裁決時における近傍類地の取引価格等を考慮して算定した相当な価格をもつてなされ、ここに相当な価格とは収用土地の客観的取引価格と解されるが、所有権取得の効果を生ずる収用については結局、収用土地の所有権の取引価格(巾場価格)ということになる。従つて、前記所有権相当額ないし所有権価格は、本件裁決時における近傍類地の取引価格等を考慮して算定される客観的取引価格と考えることができ、右客観的取引価格は当該土地の客観的利用価値によつて形成されるものと解すべきである。
2<証拠省略>の結果を総合すれば、別紙目録記載の地目堤防の土地(以下、本件堤防という)は本件輪中堤の一部に属し、同輪中堤は木曽川に架る国道一号線上の尾張大橋から木曽川西岸堤沿いに北方約五キロメートルの所に位置し、木曽・長良・揖斐三河川がそれぞれ堤を隔てて合流する地点に、木曽・長良両河川に挟まれて存在し、付近には長良川本流を隔てて西側に宝暦治水工事で名高い干本松締切堤があること、本件輪中堤は徳川時代初期に原告の祖先が当時の尾張藩に築造を出願し、地代金を上納して免許をえ、私財を投じて造成し、その後地震・水害等の災害による損壊する度に私費を投じて維侍修復しながら、徳川・明治時代を通じ代々管理所有し(但し、被告国も昭和三五年以降台風等による決壊の復旧工雪をなして管理している。)、原告が相続によりその所有権を取得したこと、本件輪中堤はいわゆる環状堤および突出堤からなる全長二キロメートルの「6」字型の堤防で、その横断面はほぼ台形で平均高さ五メートル、同上底四メートル、同底辺二〇メートル、同面積六〇平方メートルであり、木曽山・長良両河川に挟まれて生じた三角洲の上流部分に上流に向つて釣鐘状の堤防を盛土して築き、その内側に土砂を堆積させ、一定程度堆積した段階で下流部分を締切ることによつて長円形の堤防に造成されたもので、西側の一部は玉石等により根固め(護岸)されていること、本件輪中堤の内側に沿つて約二〇戸の人家が建ち、右環状堤に囲まれた土地は田畑(面積は周辺の堤外田畑を加えると約三〇ヘクタール)として耕作されて右輪中堤内は一個の村落共同体が形成され、右人家および田畑は右輪中堤により水害から防禦されてきたこと、昭和四八年一月一九日当時は長良川改修工享により本件輪中堤を縦断する形で南北に通じる新堤防が築造され、右新堤防の西側部分は川原様の荒地、東側部分は田・畑および人家が存在し、本件輪中堤は右東側部分に一部残存すること、本件山林原野および本件荒地の一部(字子新田四五五番の一)は右輪中堤と長良川とに挟まれ同堤防に沿つて南北に細長く存在し、また、右荒地の残部(字六番割の六筆)は右輪中堤外南部に存在することをそれぞれ認めることができ、右認定を覆す証拠はない。
3 原告は本件堤防敷地の所有権相当額は三・三平方メートル当り三、〇〇〇円であると主張し、その根拠として本件土地を含む、長島地区一帯に観光開発等の開発計画が進められていること、近傍土地の取引価格および昭和四〇年一月の原・被告間の貯水槽等公益的施設敷地の売買価格が三・三平方メートル当り二、五〇〇円であつたことを挙げる。
<証拠省略>によれば、三重県桑名郡長島町は昭和三八年同町南端に温泉が涌出したことから、同県開発公社等による温泉観光地・宅地造成地等として観光開発計画およびその実施が進められ、そのための土地買収が各所で行われ、同町大字松之木字堤外の土地三筆(田二筆・池沼一筆)が同四三年一二月二八日同公社により三・三平方メートル当り五、〇〇〇円で売買(但し、同四〇年一二月二〇日売買予約)されたことを認めることができる。<証拠省略>中右売買の時期が同年三月頃であるとの記載部分は<証拠省略>に照らし借信できない。
ところで、<証拠省略>を総合すれば、前記長島町は三重県の東北端、木曽・長良・揖斐三河川が合流する河口地点に位置する南北に長い平坦な三角洲地帯で、同町を横断する国鉄関西線以北の地区は昭和四〇年以降給与所得者人口、農地転用件数、建築着工件数の各増加傾向を認めることができ、温泉涌出により観光開発・宅地造成が進められていることは前記認定のとおりであるから、同地区は宅地化傾向の顕著な地域ということができる。他方、本件敷地が所在する愛知県海部郡立田村福原地区(同村船頭平閘門以北)は右長島町の北端に接し、前記認定のとおり本件輪中堤および堤内田畑を中心に人家が集落して一個の村落共合体を形成し、昭和四〇年以降においても人口の六〇パーセント以上が農業に従事し、農地転用・建築着工もほとんどなされていない農業地域ということができるものであり、また、<証拠省略>によれば鉄道・主要道路からの距離についても、前記長島町北部地区大宇松之木は近鉄長島駅から一・八キロメートルおよび国道一号線から〇・七キロメートル、福原地区は同じくそれぞれ五・九キロメートルおよび五キロメートルであることを認めることができるので、右交通事情からは右長島町北部地区の方が福原地区に比較し、より便利であるということができるから、結局、右両地区はその位置、土地柄からいつて、近傍類地としての類似性がなく、しかも前記売買例の土地はいずれも堤防敷ではなく、その価格は開発利益を見込んだ特殊な価格というべきであるから、本件堤防敷地の所有権相当額を算定するうえで、原告主張にかかる前記松之木の土地三筆の取引事例は適切なものではない。その他原告主張価額を相当と認めさせるに足りる適切な証拠はない。
他方、被告は本件堤防敷地の所有権相当額は一平方メートル当リ二四二円であり、右相当額は取引事例比較法によつて算定した額等からみて相当であると主張する。而して、<証拠省略>によれば、本件敷地から約六キロメートル下流にある三重県桑名郡木曽岬村加路戸地区において、昭和三八年三月二七日四筆の堤敷の売買事例があり、右売買価格はいずれも坪当り二〇〇円であること、右地区付近を流れる木曽川派川である鍋田川の締切りに伴う木曽川の水位上昇を避けるための同地区引堤工事の用地について、所有者が現に宅地・田畑等の用に供している土地については、鍋田川廃川敷地に造成した土地と交換し、それ以外の原野・堤敷については右のごとき交換ではなく買収が行われ、前記四筆を含む一六筆が買収されたこと、右買収価格は「建設省の直轄の公共事業の施行に伴う損失補償基準」(昭和三八年建設省訓令五号)に則り算出されたこと、右買収価格につき本件裁決において定められた補償時期(同四二年一二月二八日)と前記売買時期(同三八年三月二七日)との時間差による価格の変動を考慮し、財団法人日本不動産研究所作成の土地価格指数に基づく時点修正率を乗ずると別表二のとおり坪当り二〇九円となること(但し、堤敷としての価格指数がないので、堤敷と類似する山林〔薪炭林〕を準用)、さらに、右価格につき本件敷地と前記事例地との場所的格差をその固定資産税評価額に基づき場所的価格差修正率を乗じて考慮すると別表三のとおり坪当り二四七円となること、前記中央信託銀行名古屋支店が建設省中部地方建設局木曽川工事事務所長の依頼により本件敷地の近傍類地を市場資料比較法により鑑定評価したところ、本件輪中堤敷の一部分で、本件堤防敷大字福原新田字弐番割三四一番の二に隣接する同番の一・地目山林・現況堤防敷の所有権価格が坪当り三〇〇円(昭和三九年八月二一日当時)であることおよび愛知県収用委員会は本件裁決において、本件堤防敷地の位地・形状・環境その他の立地条件を総合的に比較考量した結果、同敷地の所有権相当額を一平方メートル当り二四二円と認定したことをそれぞれ認めることができる。
しかしながら、右のとおり前記売買事例に基づきいわゆる取引事例比較法により本件堤防敷地の所有権相当額が坪当り二四七円と算出されたことおよび前記近傍類地(堤防敷)の所有権価格が同三〇〇円と鑑定評価されたことをもつて、被告主張の右相当額一平方メートル当り二四二円の論拠とするのは、右主張額が右各価額を上回るとはいえ両者の間に約三倍もの格差があり、その格差の根拠につき何ら主張立証がないことから考えると妥当を欠き、また、前記裁決における価額を以つて論拠とするには、その算定根拠が未だ不明確であつてこれまた妥当ではない。
そこで考えるに、昭和四〇年一月、原被告間において用排水路等の敷地(立田村大字立田字三番割三一六番の一)の売買が三・三平方メートル当り二、五〇〇円でなされたことは当事者間に争いがなく、<証拠省略>の結果によれば、同三八年一二月一一日の被告調査時、本件輪中堤内西端部の右敷地(約九五坪)は、以前ポンプアツプ施設としての水車小屋があつた現況宅地と評価されたこと、および右敷地のうち水車小屋の敷地部分約一〇坪位はその部分のみ若干高くなつていて、右敷地の他の部分はそれより低く、用排水路・水田・輪中堤敷であつたことを認めることができるので、右敷地は現況宅地でなく、むしろ用排水路、水車小屋等農業用施設の敷地として、農地類似の土地というべきで、本件敷地とは距離も近く、土地上に施設が付着しているという点で類似性があり、右取引が特殊な事例であることを認めさせるような事情もうかがえないし、しかも、本件裁決時たる昭和四二年一二月二〇日に比較的近い時点における原被告間の取引であることも考え、前記用排水路等施設敷地(農地類似の土地)の取引価格三・三平方メートル二、五〇〇円を本件敷地の所有権相当額算定の堰準にするのが妥当であると考える。
もつとも<証拠省略>によれば、前記用排水路等施設敷地の所有権価格は中央信託銀行株式会社名古屋支店により現況準宅地、坪当り一、六〇〇円と鑑定評価されている(昭和三九年八月二一日現在)ことを認めることができるが、他方、同鑑定は右敷地が準宅地であるといつても農家用のもので一般的な宅地として使用可能なものではなく、単に堤防上の平坦地という程度の土地であると判断し、右評価額も山林の比準価格を基礎に算定されていることを認めることができるから、右鑑定評価の結果は前記取引を近傍類地の取引事例として考慮することの妨げとはならない。
ところで、<証拠省略>によれば、原告の代理人である伊藤滋の依頼により株式会社名古屋不動産研究所(代表者不動産鑑定士近藤信衛)が本件敷地の所有権価格(前記裁決時)を鑑定評価したところ、昭和三九年七月の本件輪中堤に隣接する田・畑の取引価格一平方メートル当り三九三円および原・被告間の前記取引価格等を取引事例として比較検討して右敷地の近隣地域内の標準的耕地(田畑)の標準価格(右裁決時)を同七〇〇円と評価し、本件敷地が右耕地と比較して、堤防敷であつて直接収益を生ずる不動産ではなく公共的色彩の強い点を考慮して、右標準価格に対して三〇パーセントの減価を行つた同四九〇円(三・三平方メートル当り一、六一七円)をもつて右敷地の所有権価格としたことを認めることができるので、これらの各事実に本件敷地が堤防敷であることから田畑ないし農地に比べ取引の対象となりにくく、また、その利用も限定されるという客観的取引価格ないし客観的利用価値についての減価要因および原・被告間の前記取引の取引時期と本件裁決時との時点修正を併せ考えるならば、基準となる前記取引価格三・三平方メートル当り二、五〇〇円に対して前記三〇パーセントより高率の四〇パーセントの減価を施した三・三平方メートル当り一、五〇〇円をもつて本件裁決時における本件堤防敷地の所育権相当額として、相当であると思料するものである。
なお、右名古屋不動産研究所の鑑定評価は、原被告間の前記取引を取引事例として斟酌しているが、右取引が本件敷地の所有権価格を算定するうえで適切な事例であることは先にみたとおりであり、また、<証拠省略>によれば、前記田・畑の取引価格については一部一平方メートル当り三三〇円、三六〇円とするものがあるが、大部分が同三九〇円であることを認めることができるから、右田・畑の取引事例を斟酌したことが適切を欠くともいえない。
4 原告は、本件山林原野の所有権相当額は三・三平方メートル当り一、五〇〇円であると主張するが、右主張を認めさせるに足りる適切な証拠はない。
被告は右相当額は二平方メートル当り二四二円であり、右相当額は取引事例比較法によつて算定した本件堤防敷地の所有権相当額等からみて相当であると主張し、右堤防敷地の所有権相当額は坪当り二四七円であるという。そして、<証拠省略>によれば、昭和三九年ころ原・被告間において山林(立田村大字福原新田字二番割三五四番の一)が三.三平方メートル当り二九七円、本件輪中堤付近の堤外南側の原野(同六番割五二九番の三)が同二七二円で売買されたこと、前記中央信託銀行名古屋支店の鑑定評価によれば、同年八月二一日当時の本件輪中堤内西端部の現況山林(同村大字立田字三番割三一六番の一)の所有権価格が坪当り三〇〇円、財団法人日本不動産研究所名古屋支所が建設省中部地方建設局木曽川工事事務所長に依頼されて本件原野の近傍類地を市場資料比較法により鑑定評価したところ、前記原野の所有権価格は近傍畑の世評価格坪当り八五〇円の三〇パーセントに当る同約二五〇円(同年六月当時)であるとしたことおよび愛知県収用委員会は本件裁決において、本件山林・原野の位置・形状・環境その他の立地条件を総合的に勘案した結果、同山林・原野の所有権相当額を一平方メートル当り二四二円と認定したことをそれぞれ認めることができる。
しかしながら、右のとおり原・被告間の売買価格が山林三・三平方メートル当り二九七円、原野同二七二円、前記近傍山林の所有権価格が坪当り三〇〇円、同原野のそれが同約二五〇円であることを以つて、被告主張の本件山林・原野の所有権相当額一平方メートル当り二四二円の論拠とするのは、右主張額が右各価格を上回るとはいえ、両者の間に約三倍もの格差があり、その格差の根拠につき何ら主張立証がないことから考えると妥当を欠き、また、前記裁決における価額を以つて論拠とするには、その算定根拠が未だ不明確であつてこれまた妥当ではない。
ところで、本件山林原野が本件輪中堤外西側に、長良川と同堤防とに挟まれた南北に細長い土地であることは前記二において認定したとおりであり、右山林原野は依然として長良川出水の危険の下にあることを考慮すると、その客観的取引価格ないし利用価値は、本件堤防敷地よりも低いものということができる。そして、<証拠省略>によれば、前記名古屋不動産研究所が本件山林原野の所有権価格(本件裁決時)を鑑定評価したところ、右山林原野が前記標準的耕地と比較して、本件輪中堤外のやや起伏のある原野であつて諸要因で劣るので、堤外地の堤内地に対する評価先例による割合等を考慮して、右耕地の前記標準価格一平方メートル当り七〇〇円に対して五〇パーセントの減価を行つた同三五〇円(三・三平方メートル当り一、一五〇円)をもつて右山林原野の所有権価格とし、本件堤防敷地の三〇パーセント減価・一平方メートル当り四九〇円より二〇パーセント低く評価したことを認めることができ、右減価が標準的耕地に対するものであることを考慮すると、当裁判所は、本件山林原野の所有権価格(相当額)について本件堤防敷地のそれに対する減価率を一〇パーセントとするのが相当であると思料する。従つて、本件裁決時における右山林原野の所有権相当額は、前記三認定の右堤防敷地所有権相当額三・三平方メートル当り一、五〇〇円の九〇パーセントである同一、三五〇円とするのが相当である。
5 原告は本件荒地の所有権相当額は三・三平方メートル当り七五〇円であると主張するが、右主張を認めさせるにたりる適切な証拠はない。
被告は前記のとおり右相当額は一平方メートル当り四八円四〇銭であると主張し、<証拠省略>によれば、愛知県収用委員会は本件裁決において、本件荒地の地形等を考慮した結果、右荒地の所有権相当額を右金額と認めたことを認めることができるが、その算定根拠が未だ不明確であるから右裁決額を採ることはできない。
ところで、本件荒地のうち字子新田四五五番の一の土地が本件山林原野と南北に連なり、本件輪中堤外西側に長良川と同堤防に挟まれた川原状の土地であり、残余の荒地も同堤外南部の長良川に面した土地であることは前記二において認定したとおりであり、本件荒地が川原状の土地であることを考慮すると、その客観的取引価格ないし利用価値は、本件山林原野よりもさらに低いものということができる。そして、<証拠省略>によれば、前記鑑定評価において、本件荒地が前記標準的耕地と比較して、本件輪中堤外の水際にある生産の期待の薄い土地であることを考慮して、右耕地の前記標準価格一平方メートル当り七〇〇円に対して八五パーセントの減価を行つた同一〇五円(三・三平方メートル当り三四六・五円)をもつて右荒地の所有権価格とし、本件山林原野の五〇パーセント減価・一平方メートル当り三五〇円より低く評価したことを認めることができ、右減価が標準的耕地に対するものであることを考慮すると、当裁判所は、本件荒地の所有権価格(相当額)の本件山林原野のそれに対する減価率を三〇パーセントとするのが相当であると思料する。
従つて、本件裁決時における右荒地の所有権相当額は、前記認定の右山林原野所有権相当額三・三平方メートル当り一、三五〇円の七〇パーセントである同九四五円が相当である。
四 本件福原輪中堤が堤防であることは前記二において認定したとおりであるところ、右堤防が本件損失補償につきそれ自体別箇の構築物として、前記河川法施行法一九条、河川法施行規程九条、一〇条により「相当の補償金」を下付すべき対象物件であるか否かについて、以下検討する。
同規程一〇条の解釈として、右補償金は「地上二現存スル物件ノミナラス土地相当ノ価格ヲモ補償スルノ主旨」(明治三五年三月二八日土甲一三号各地方長官宛土木局長通牒)であるとされるが、ここにいう「地上二現存スル物件」とは、占用取消に伴う損失補償の場合、当該土地の占用許可を受けた者がその占用の目的を達成するために所有する物件即ち占用河川敷地における旧河川法一七条所定の工作物をいい、本件占用堤防敷における認定河川付属物たる本件輪中堤は、右輪中堤が存在するがゆえにその敷地の占用が許可される関係にあるのであるから、右通牒にいう物件とはいえない。
また、さらに翻つて考えるに、河川法上の損失補償について土地収用法上の損失補償に関する諸規定を類推することが許されることは前述したとおりであるが、同法においては、堤防は土地から分離して移転することが社会通念上不可能であることから、土地に付加され土地と一体となつて効果を果たすいわゆる付加物即ち土地の構成部分とみなされ、従つて、堤防は同法六条にいう土地に定着する物件とは異なり、土地と別個独立に損失補償の対象となるものではないとされているのである。かかる土地収用法上の考え方からすれば、河川法上の損失補償に関する前記規程一〇条および通牒に基づく補償金下付の対象物件としても同様、本件輪中堤は、堤防その自体としてはその対象にならないと解すべきである。
もつとも、<証拠省略>によれば、本件輪中堤は同証人が鑑定時に実地に見た結果の常識的な判断としては、土壌の単なる堆積即ち土地の構成部分ではなく、土地とは別個の物件で土地収用法上の定着物であり、このことは、右輪中堤が人工的に作られ、それなりの歴史・由来があり、鑑定当時も人工的に作られた堤防としての原形を失なつていなかつたことから裏づけられるとする見解のあることを認めることができるが、上地収用法が収用土地上の物件について、土地を収用、使用することができる事業に必要のない物件については原則として移転させ(同法七七条)、移転困難・移転料多額の場合には当該物件を収用できることとし(同法七八、七九条)、事業に必要な「土地に定着する物件」については別個独立に収用・使用できるとしている(同法六条)ことから考えると、同法にいう土地の定着物とは、土地に継続的に付着された状態で使用されるのがその物の本来の使用形態であり、かつ、土地から分離して移転することが社会通念上可能である物をいうものと解すべきであるが、そうとすれば定着物か否かは専ら物自体の客観的な性状によつて定まるのであつて、その物が人工的に作られたかどうか、その物の持つ歴史・由来がいかなるものかということには左右されないというべきであるから、本件輪中堤を定着物であるとする前記見解は採用できない。
なお、原告は堤防が敷地と一体であるなら堤防の価値を前記「土地相当ノ価格」即ち堤防敷地の所有権相当額の中に含ませるべきであると主張し、右に論述したように本件輪中堤は輪中堤敷地の付加物として右敷地と一体となつて存在し、右敷地はいわば堤防状土地というべきであるが、前記三認定のとおり、右敷地の一部分たる本件堤防敷地の所有権相当額は付加物たる堤防の価値をも含んでいるとみることができ、従つて、別箇に補償を要するものではない。
五 原告は本件輪中堤の文化財的価値についての損失を、河川法七六条一項に規定する本件占用許可取消処分により通常生ずべき損失として、その補償を求めているものと解せられる。
ところで、原告主張の本件輪中堤の文化財的価値について、考えるに、文化財保護法(昭和二五年五月三〇日法律二一四号)にいう文化財と同等の価値であると解せられるが、同法にいう文化財とは、要するに、建造物・家屋・古墳・都城跡等でわが国にとつて歴史上・学術上価値の高いもの等(同法二条一項)であり、かかる文化財としての価値は、単なる主観的感情的価値とは異なり、一個の客観的な価値というべきであり、しかも、経済的に評価しうるものであると考えることができる。そして、前記河川法七六条一項の通常生ずべき損失の補償については、前記二に述べたとおり土地収用法八八条に規定する土地の収用使用によつて土地所有者らが通常受ける損失の補償と同趣旨と解すべきところ、同条は一般的な客観的利用価値(同法七二、七三条はかかる価値についての損失補償である)以外の特殊な客観的価値についての損失をも通常受ける損失として補償する趣旨と解せられるから、右文化財的価値についての損失は右通常受ける損失として補償の対象になり、従つて、河川法上の通常生ずべき損失補償の対象になるというべきである。
被告は、損失補償の対象たりうる文化財的価値は、文化財保護法等により文化財として指定され、または指定するにたりる程度のものでなければならないと主張するが、同法による文化財の指定は文化財保護行政上の目的からなされるものであるから、右指定の有無ないし指定するにたりるかどうかは損失補償の要否を決する基準とはならないので、右主張は採ることができない。
前記二において認定した本件輪中堤の築造経緯・形状・機能等についての各事実に、<証拠省略>を総合すれば、本件福原輸中堤は、一、形成過程から見た場合、右輸中堤の環状堤が江戸時代初期に形成され、昭和四二年当時まで完全に連続した形で残存した唯一の輸中堤であつたこと(岐阜・三重・愛知三県下に江戸時代数多く存在した輪中堤は明治時代以降、いわゆる三河川分流工事等により大きく変更、増築がなされたのが実状であつた。)、請負新田を開発した地主加藤家が自費で独自に築造し、明治時代以降も同家が主体的に維持してきたものであつたこと(輸中堤を新しく造るといつた大工事は何らかの形で幕府・大名の資金的援助を仰ぐのが実状であつた。)および輪中堤内の住民が輪中堤の維持・強化に日夜腐心して自らの手で生命・財産を保全し、輪中堤を中心とした地域共同体の自治の象徴的存在であつたこと(明治政府以降、河川管理に関する国の力が強化されるにつれ、輪中堤の管理も次第に国の手に移り、それにつれて、輪中民の自ら輪中堤を維持強化していくという意識が弱まるのが実態であつた)。二、水防機能からみた場合、本件輪中堤のうち突出堤は、明治時代中期、前記三河川分流工事に関連して立退きを余儀なくされた住民十数戸を環状堤外に収容するために環状堤北部に築造されたもので、洪水から右住民を護り、突出堤・環状堤間の区域を静水域にし、土砂を堆積させ、併せて環状堤を補強するといつた諸機能を有し、他の輸中堤には見られない特色ある性格を持つていたこと。三、輪中堤としての一般的特質を見た場合、輸中堤は治水の基本策として発展し、わが国治水史上独自の位置を占める、即ち、一五、六世紀以降、農業を中心とした社会的生産の発展と共に、大河川下流域の開発がなされるに至つたが、木曽・長良・揖斐三河川流域においては、中流域の扇状地と下流域の三角洲地帯が直ちに接合する河流状態は河道を極めて流動的にし、流出土砂の堆積によつて網の目状の河流の各所に開発可能な高所を造成するに至るという地理的条件に対応して、その高所のうち比較的に安定した土地が耕地として開発されることとなつたが、右開発の過程における治水策が輪中堤生成という形で現われたものであり、先に認定したとおり、本件輪中堤は正にかかる輪中堤のうちの一つであつたこと、従つて、本件輪中堤は、江戸時代末期以降の策堤技術の推移、新田開発による農業生産の発展、治水事業の進歩および村落共同体の実態等を知るうえでまたとない資料を提供するものであつて、従つて、また高等学校の社会科地理の教科書において、村落形成の形態の一つとして「輪中」即ち本件輪中堤が紹介されていることをそれぞれ認めることができる。
右認定事実によれば、本件輪中堤は歴史的・人文地理学的にすぐれて価値の高いものであるということができるから、右輪中堤は前記文化財的価値を有するものということができる。そして、かかる文化財的価値が本件収用にあたつて、どのように補償せらるべきかは問題であるが、公共事業の施行に伴う公共補償基準(昭和四二年二月二一日閣議決定)によれば、公共施設等の補償は、同等物を建設してするとしている。そしてその一四条によれば、公共機能が失われても公益を害しないような場合には一般の補償基準によるとしていることから考えて、本件輪中堤は先に認定したところより公共施設とみることができるが、国による新堤の建設のため収用により公共施設としての機能を失い、かつ他に同等の施設が必要ともいえない本件においては、等質物の建設費を以て補償することもない。結局輪中堤の経済的価値を算定し、その限度で、補償すべきこととなろうが、前記のとおり歴史的・人文地理学的な価値は、いわば一般国民全体にとつての公共的価値であり、本件の如く本件輪中堤を占用する個人の経済的利益が増加するものでもないと考えられるし、そもそも、右にいう文化財的価値自体には経済的価値は算定することができないものと考えるべきであろう。
ところで、前掲各鑑定の結果によれば、各鑑定人において、本件輪中堤の文化財的価値の評価額が右堤防の再調達原価(再建設費)に対する一定比率をもつて算定し、かつ、右一定比率につき、裁判例(鳥取地方裁判所昭和四四年(ワ)二一〇号同四七年三月一七日判決)における神社大鳥居の再建費用に対する歴史的価値の比率七対二を参考にして、それぞれ三対一、二対一と算出していることを認めることができるけれども、その算定根拠について、首肯するに足りる合理的説明を欠くものであつて、当裁判所の採らないところである。而して他に前記文化財的価値を補償すべきであることを認めさせるに足りる適切な証拠はない。従つて右補償を求める原告の主張は理由がない。
六 以上各認定したところに基づき、本件土地の占用許可取消処分により原告の受くべき損失補償額を算出すると、
本件土地の所有権相当額
堤防敷地 六、六四八、〇〇〇円
(四、四三二坪×一、五〇〇円)
山林 八一四、〇五〇円
( 六〇三坪×一、三五〇円)
原野 五、一五二、九五〇円
(三、八一七坪×一、三五〇円)
荒地 三、二五五、五二五円
(三、四四五坪× 九四五円)
合計 一五、八七〇、五二五円が相当である。
七 以上の次第で、本件占用許可取消処分による損失補償額は、右六において算定したとおり一五、八七〇、五二五円であるから、本件裁決における損失補償額七、六三二、六九九円は取消変更を免れず、原告の右損失補償額裁決の変更を求める請求は右認定の限度において正当として認容し、原告の給付を求める請求については、右認定の損失補償額から既に支払を受けた七、六三二、六九九円を差し引いた八、二三七、八二六円およびこれに対する本件補償時期昭和四二年一二月二八日の翌日より完済に至るまで、年五分の割合による金員の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用し、仮執行宣言は付きないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 山田義光 鏑木重明 樋口直)
物件目録<省略>